夜の海を眺めながら
長いこと「療養」というのをやっていて、昨今ようやく、今度こそ本当に「回復」してきているのかという感覚が生まれています。人間というのは(というより単にぼくがなのかもしれませんが)厄介なもので、そうなると「社会復帰」に向けて、いろいろこころに浮かんでくることが増えてきます。逆に言えば、今までは多少好調でもどこか「復帰」についてリアリティがなかったのですが、今回はそうでもなさそうです。
ざっぱに言えば、「今までの自分に戻れるのか」ということで悩んできたのに、そういうふうには自分が在りたくなく、「新しい自分になってしまいたい」という切なる願いの方が強くなってきて、果たしてその願いにたどりつける「力」が、この自分に本当にあるんだろうかということに、苦しさを覚えます。
今日は夕食後、一人原チャリを走らせ、また秦野から国府津まで出て、だれもいない夜の海をずいぶんと長いこと眺め、その問いの答えを求めて座りこんでいました。夜の海は荒れてもいないのに、圧倒してくるものがあり、自分などこの海の水泡の一つのようだなと、自嘲ではなく、ありのままを受け入れていました。
人間を40年以上やっているのですから、この勝負に勝てるか、こいつをやり遂げられるかという場面は何度かありました。小心者ですから、そのつどうじうじと悩みつつも、何とか乗りきってきたり、時には「鮮やかに」やり遂げたりもしてきました。
しかし、今回は「自分という人間の存在にどれだけの意味があるだろう」ということをまともに賭けた勝負になるなと思えてきました。夜の海で。そう思えてくると、目の前の夜の暗い海より、自分の内なる「力」への懐疑と信頼とを往復するここからの方が、はるかに怖くなり、座りこんだまま、がたがた震えていました。
「今までの自分に戻って治したい」と願っていた頃のことは、今思えばとても楽なものだったと感じました。
なかなか、そう、なかなか、厄介な自分です。この厄介な自分を引き連れて、厄介な自分を乗り越えるのだなと、夜の海で考えていました。
バカみたいな話です。
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